Luang Prabang 探訪

2012年11月25日から30日まで Laos国の Luang Prabangを訪れてきました。

Luang Prabangは、曾てのラーンサーン王国の王城の地、フランスの保護国ラオスの王宮もこの地にありました。
メコン川とカーン河が囲む半島にある静かな町です。


左:カーン川         右:メコン河

宿泊したホテルの名称は 3 Nagas (現地読み:サーン ナーガ)。 ナーガはヒンドゥー神話の龍/大蛇。差し詰め みつまたのおろち でしょうか。
ホテルの建物は、1903年に国王の枢密顧問が建てた伝統的ラオス様式。 世界遺産の基準は満たしつつ設備は更新され、Wi-Fiも導入されていました。

3 Nagas


ラオスの食事は、汁気のある煮物/炒め物を米飯と混ぜて食べます。 中華のような餡はかかっていなく油気も少なく、また、インドやタイのような辛さもありません。

米飯は炊いた粳米と糯米の お強 があり、糯米には白米、古代米のような色味がかったもの、お赤飯ような赤米がありました。
いずれも美味しく、日本人の口にあうようです。
 
お茶を頼むと English Tea のほか、ジャスミンティーのようなハーブ茶、ウーロン茶のような桑の葉のお茶など、何が出てくるか楽しみでした。
Lipton の Tea bag は興ざめでしたが、それ以外は楽しめました。
 
飲み物は、ビール。デンマークのカールスバーグの指導と思われる Beerlao はキリンの一番搾りに良く似た味で美味しく、Dark beer もイケました。

1日目は托鉢の喜捨体験から始まりました。

托鉢は6:30頃から、観光客は所定の場所で旅行社が準備したお強飯を鉢に差し入れました。
続いて朝市を散策。 庶民の日常の場です。

     


朝食後、王宮博物館へ。

フランス政府がラオスを丁寧に保護していることをPRするために1909年に建て、1975年のラオス人民民主共和国成立まで王宮として用いられ、翌年から博物館になつています。
国旗の背後のエンブレムの3つ頭の像は、ラオスを構成することになったルアンブラバン王朝、ヴェンチャン王朝と南部のチャンパーセック王朝を象徴している由。

移動の途中、カーン川に架かる 竹の橋 を見つけました。
メコン河との合流点から上流3kmの地点まで 橋 はなく、幾つかの 竹の橋 がありました。
高水期には流されることが前提で、普段でも流れが増えると渉ことができません。

右の写真は
メコン河。上流は中国 国境から下流はカンボジア国境までの間、橋はヴェンチャン〜ノンカイ間と最下流のパーセクにしかありませんので、車の渡河は Car ferryに依っています。
車を船の軸と直角に載せています。 車が大きい時は船べりからはみ出させるようです。

      


昼食後、ラオスで一番美しいとされるワット・シェントーン寺院へ。

典型的なルアン・ブラバーン様式で、1887年に「黒旗のホー族」が町を襲った時も首領が若い時この寺院で修業し、ここを司令部しとたため破壊を免れたなどで、数少ない原型を留めている建物です。
また、寺院の裏の外壁には マイトーン(生命の樹)が描かれています。
寺院内部の大仏は、ガイド君はコンクリートと云っていたけれど、この寺が焼けたという話がないから???。
この地は、古くは同根であるタイのランナー王国と、その後ミャンマー王国、カンボジアのクメール王国、タイのアユタヤ/シャム王国と、下ってはフランスからの独立戦争、ベトナム戦争と被る第2次インドシナ戦争と多くの戦乱を被っており、古い仏像は少ないようでした。

         

一旦、ホテルで休憩した後、王宮博物館付属の劇場へ。
演目は、ヒンドゥー神話のラーマナヤの一話でした。


演技中は撮影禁止。記念写真用の はいポーズ。

2日目は、郊外探訪です。
 
先ず 象の村へ行きました。
象に乗ってカーン川を対岸に渉り、また戻ってくる小1時間のトレッキングです。
象のお腹まである水量で、流れもあり横歩きをして流れを渉りました。

一旦 市内に戻る途中に「織物センター」があり立ち寄りました。
ルーソク族の授産所のようで、大きめの一つの建屋で 1. 養蚕、2. 糸紡ぎ、3. 染色機織り、5. 小物の縫製、6. 即売をしていました。
土産にと思った商品にボタンが付いていませんでしたが、隣の商品のボタン糸をチョン切り、すぐ付けてくれました。 その手際の良さに驚嘆、、。
ルーソク族の絹織物は王宮御用達だったそうです。

          

午後からはクワンシーの滝へ。

途中、モン族の集落がありました。
モン族女性の結婚年齢は14・15歳の由で、幼子が集落に溢れていました。
暫らくは少子高齢化の心配をしなくてよさそうです。

滝は何段にもわたり、水量もあり見応えがありました。
暑い日ではなかったのですが、欧米から来た観光客には泳いでいる人もいました。

         


少なからぬ車のダッシユボード上に、面白いものが置いてあるので聞いたところ、精霊への供物だそうで、車の精霊に供えると云うよりは飾りとしているようでした。
廃止になった新札を折って作るようです。 インフレは酷いようで、1円が100キープ、1$は10,000キープ、何処へ行っても米ドルとタイ・バーツが通用しています。
話の種に、市場で買ってきました。

3日目は、ボート・タクシーで幾つかの集落を訪ねながらメンコ河を遡上しました。

最初に訪ねたのは、ラオ族、モン族、カム族が共棲する村。
写真中央の竹の柵がラオ族とモン族の結界です。
残念ながら経済格差は一目瞭然です。

この集落に新しい学校がありました。 アメリカ在住のこの村の出身者が、アメリカでの身の回りの人の協力を得て寄贈した由。
建物の雰囲気は、かってカンボジアに寄贈した学校に良く似ており、懐かしく思い出しました。

ラオ族     モン族
                                               
次に訪ねたのは、酒造りの村。
土地の米を醸造して 15%の Rice Wine を、それを蒸留して 50%の Rice Brandyを作っていました。 赤米を原料としたものは、正に Red Wineです。
写真左側の竹で編んだ外套には、LAO WHOSKYと編みこまれています。
 
     Rice Wine     Rice Brandy
 
遡上の終点は、パークウー洞窟。 上下2つの洞窟に4,000体を超える佛像が祀られていました。


 
 
帰途、紙を手漉きする集落に立ち寄りました。
和紙の手漉きと同じ要領で、木の葉や花びらを漉き込んでいました。
  
この日の夕食は、この地に魅せられた日本人の経営する食堂。

モン族、ラオ族、カム族の衣装を着けた踊り子の舞踊がありました。


左から モン族、    ラオ族、    カム族の衣装