ペルシャ探訪記

(1)序

2018年3月5日から15日まで「ペルシャ探訪」のツアーに参加し、イランへ行ってきました。

「イラン」はアーリア人の国を意味する現地語で、「ペルシャ」は西洋人が付けた呼び名です。「日本」vs「ジャパン」と同じです。

有史以前に北方の遊牧民であったアーリア人が寒波に追われて南下し、インドのパンジャブ地方、イラン北部、ヨーロッパ東部に定着した由です。 

3/5 22:20に成田を離陸したQR807便は 若狭湾から出雲と隠岐の間を抜け、慶州、ソウルを経て北京、ウルムチ、タクラマカン砂漠の北の縁を回ってタシュケント、イランのマシュハド、シラーズの上空を通過して現地時間3/6 04:30ドーハに着陸。所要時間12時間10分でした。

その後近距離線でテヘランへ。

 

(2)テヘラン

ゴレスターン宮殿

ガージャール朝の王宮。鏡に囲まれたシャンデリアの煌めく豪華絢爛の大広間などがありましたが、ビルの谷間に埋没しています。

     

 

サアダーバード宮殿

パーラビー王家の夏の離宮。37畳余りイラン最大を誇る絨毯も敷いてあります。

 


宝石博物館

イラン中央銀行の地下にあり、パーラビー朝から没収したコレクションが納められている。2万6千個の宝石が散りばめられた「孔雀の玉座」、5万1366個の宝石が埋め込まれた「宝石の地球儀」、「光の海」と名付けられた世界最大182カラットのピンクダイヤモンドなどが含まれています。

 

絨毯博物館

パーラビ2世のファラ王妃が収集したイラン各地の絨毯とその製法の特徴が展示されています。

 

考古学博物館

紀元前6000年から19世紀までの歴史的資料を収蔵していますが考古出土品のコーナーを見ました。ペレスポリスから運ばれた出土品も少なくありません。

 

アーブギーネ博物館(ガラスと陶器の博物館)

この建物富豪の邸宅として建てられエジプト大使館に転用された後、イスラム革命で接収、博物館となっています。

紀元前4000年からの様々な陶器と紀元前2000年からのガラスの数々が展示されています。中には正倉院御物と同型のサザン朝の白瑠璃のカットグラスものもありました。

     

 

イランではクレジットカードが使えず、郵便局では切手を売っていません。

インフレが酷く(年率8万%)カード決済時には購入物品の値打ちが、購入切手額面では郵便投函時の値打ちが保証されないからのようです。

 

(3)シラーズ

エラム庭園

ガージャール朝時代の個人ムハンマド・ゴリー・ハーンよって作られた庭園。「エラム」はペルシャ語で「楽園」を意味する。ゾロアスター教の教えによる「水」、「土」、「空」、「火」に区切られた「4分法」を基礎として設計されています。その後シラーズ大学に寄付され学用植物園となっています。


ナシルモスク

1887年に完成したムハンマド・ゴリー・ハーンの親族の個人のモスク。ステンドグラスを通した光の綺麗なモスクです。

     

 

ハムゼ廟

アッバース朝時代の王族の廟。鏡モザイクの内装が綺麗です。

     

 

サーディー廟

1291年亡くなった詩人サーディーの廟。1864年に再建されています。

 


イランでは1972年のイスラム革命以後イスラム法が厳格に適
用され、特に女性には外国人を含めて、チャドル、ヒジャブ、スカーフなどで頭髪を覆うことを厳しく求めています。

更にモスクに入るときはチャドルの着用が必要ですが、異教徒には黒ではなく花模様の淡い色のチャドルを貸与しています。

 













(4)ペルセポリス

「ペレスポリス」は「ペルシャ人の都」を意味するギリシャ語が語源で、BC520年アケメネス朝のダレイオス1世により建築が着手され、BC331年アレクサンダー大王によって陥落した際、火災によって廃墟となっています。

嘗て訪れたシリアのパルミラ遺跡と通じるものがあるが、紀元前2世紀前後のものです。

     

 

ナグシェ・ロスタム

アケメネス朝ダレイオス1世他の王墓。壁面上部にはギリシャ十字型に彫り込まれ、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダのレリーフも見られ、下段にサーサーン朝の逸話が彫られています。

     

 

パサルガド

「パサカルド」は「ペルシャ人の本営」を意味するギリシャ語が語源。BC546年キュロス大王の下で建設が始まったアケメネス朝の最初の首都。

キュロス大王の墳墓のほか、橋台も残っています。

     

 

今回訪問した諸都市は1000m以上の高地の盆地にあり 夜間は3~5℃と低く、昼間は20~25℃となったが、砂漠のため湿度が25%と低く凌ぎ易い気候でした。

 

 

(5)ヤズド

アーデシュキャデ

「火の家」を意味するゾロアスター教の寺院で建物は1930年代インド在住のゾロアスター教教徒達の寄進によるものであるが、祭壇では聖火が1500年燃え続けています。

651年サーサーン朝がイスラム軍に敗れるまではイランはゾロアスター教でした。この聖火が不動明王の火炎の起源と考えられています。

聖火台の前にガラスの壁があり背後が写真に映り込んでいるのは残念です。

     

 

沈黙の塔

ゾロアスター教の風葬の祭壇です。ゾロアスター教では遺体が聖なる「水」、「土」、「空」、「火」に触れぬよう1930年代まで風葬を行っていました。遺体を鳥が啄んだのは事実ですが、それが目的ではありませんでした。

 


ジャーメ・モスク

「金曜日のモスク」と和訳されることもある「ジャーメ・モスク」は、その地区の中心的/その地区を統括するモスク。

ヤズドのジャーメ・モスクはサーサーン朝時代のゾロアスター教寺院の跡に14~15世紀に建てられています。

     

 

アミールチャグマーク

15世紀に建てられたイスラム教の寺院やバザールなどの複合施設。

   

  世界遺産となっている旧市街で棒状と環状の二つのドア・ノッカーの付いた玄関を見かけました。

左の棒状のドア・ノッカーは男性客ためのもの、右の環状のそれは女性客と家族のためのもの。その音によりドアを開ける人は服装を変えます

 

 










(6)イスファハン

ジャーメ・モスク

771年に建設され、その後 各王朝が増改築を繰り返したイスファハン最古のモスク。礼拝堂はティムール時代の冬用のもの。

     

 

イマーム広場

1598年サファビー朝のアッバース大王がここを首都と定め、その中心としてイマーム広場を建設しました。

広場はバザールの回廊で囲まれ、イマーム・モスク、シェイク・ロトフォラー・モスク、アリカプが繋がっています。

 

イマーム・モスク

アッバース大王の命により1612年着工。大帝の死後1638年に完成しています。

南北軸の広場とメッカの方向が合わないので45°ずれた向きで建てられています。

中央ドームの下での音声がモスク全体に伝わるよう音響設計は抜群です。

補修工事のための足場が架かっていました。

     

シェイク・ロトフォラー・モスク

レバノンの著名な説教師シェイク・ロトフォラーを迎えるために建てた王族専用のモスク。

 


アリカプ宮殿

王様シャーがイマーム広場で行われるポロを観戦するために建てられました。最上階の音楽堂の漆喰壁には、余分な音を吸収するために楽器の形状をした穴が施されています。

     

 

シーオセ橋

アッバース大王の都市計画の一環として架けられました。

「シーオセ」は33で、33連のアーチ橋。橋長295m。現在でも自転車、歩道橋として用いられています。

     

ハージュー橋

上層にはテラスが設けられていて、夏には王様が夕涼みの宴を張ったと云われています。

下層には閘門が設けられていて、川の水量を調整していました。

 

チェヘル・ソトーン宮殿

1647年アッバース大王によって建てられた宮殿。「チェヘル・ソトーン」は「40の柱」の意。20本ある柱が水面に移ると40本に見えることから名づけられています。

     

ハシュト・ベヘルト宮殿

サファビー朝後期の1669年シァー・ソレイマンによって建てられた小振りな宮殿。「ハシュト・ベヘルト」は「八天宮」の意で、天井も八角形となるよう構成されています。

 

 

西暦2018年3月13日のこの日バスの中で配られた水のペットボトルに PRO:96/12/15、EXP:97/12/15とあり??

これはイラン暦で、この日は1396年12月21日、製造後6日目の由。

イランでは西暦(グレリオ暦)の他、預言者ムハンマドの聖遷を紀元とし春分を元日とする太陽暦のイラン暦、預言者ムハンマドの聖遷を紀元とするも1年が354日の太陰暦で元旦が移動するイスラム暦が用いられています。

因みに日本で用いられる旧暦(天保暦)は数年に1度閏月を加える太陽太陰暦です。

 

(7)ジョルファー

イスファハンの膨張によりイスファハンに取り込まれていますが嘗ては独立した別の町でした。

 

ヴァンク教会

1655~64年に建てられたアルメニア教会。

モスクを思わせるドーム型をしているが先頭には小さな十字架が付いています。

内部の壁には「最後の審判」など聖書の場面やアルメニア人にとっての聖人の画が描かれています。

 


この頃オスマントルコの圧迫により多くのアルメニア人がイランに逃れて来ました。アッバース大王はアルメニア人の優れた職人や商人を呼び寄せ「特区」を作り信仰の自由を与えたため、独自のキリスト教世界が作られ現在まで保たれています。

「ジョルファー」はアゼルバイジャンとの国境に近い彼らの故郷の町の名前に由来しています。

イスラム法のもと、家庭内・ホテルの部屋においても禁酒が求められ、我々外国人もテヘランの空港に着陸した時から空港を離陸するまでの間は飲酒出来ないイランですが、この地区のアルメニア人だけ家庭内でワインを嗜むことが認められています。

 

(8)結び

3/14 朝方バスでイスファハンを出発。

 

カシャーンのフィン庭園

カシャーンはアケメネス朝に遡るシルクロード都市。

フィン庭園はサファビー朝のアッバース大王が作った。噴水は建物裏の上池の水圧を利用しています。

     

ゴムのバズラテ・マアスーメ霊廟

12イマームの内の8代目レザーの妹マアスーメの廟です。 黄金のドームはアッバース1世が建てさせたので280kgの金箔が使われている由です。

シリアでの殉教者の大葬列が入場してきましたので、早々に退散しました。

 

夕方テヘランに到着。

22:00テヘラン発00:15ドーハ着。


3/15 03:05にドーハ発ったQR806は、ヒマラヤの南側をカラチ、デリー、カルカッタと東進、マンダレーの北側で方向を変え昆明、貴陽、上海で黄海へ出て長崎から九州横断、足摺岬、室戸岬、潮岬を横切って19:00成田着。偏西風のお蔭で所要時間9時間55分と大幅に短縮されていました。

 往路は偏西風を避けたコースだったようです。

 


今回のツアー参加者は男2名、女9名の合計11名。最年長は87歳(男)、最若年が66歳(女)。ざっと見た所の平均は80歳。夫婦は我家だけ。残りの9名は単身参加。生涯単身者、仕事人間の/病床の相方を置いての単身参加、見送った人。近未来のわが国の先取りのようにも見えました。