龍 子 記 念 館

川端家から大田区に移管されたこの施設は 我家から徒歩30分 3,000歩 約2km の所にあります。
シニアは 料金無料でもあって 散歩に絶好な場所です。
2002年 大森に住み始めてから 毎回観覧しています。

2020年

その部分がチラシにもなっている[海洋を制するもの]、豊満な裸体を描いた[山葡萄]など様々な人物表現の作品が展示されていました。

前者は 1936年造船所の職工さんたちを描いたもので、背後のアークに映えるヒュームを火炎としてホ工(リベット工)を不動明王に見立て、溶接工などと共に三尊形式としています。

裸体画については西洋に教えられたのでなく「たとえば仏教芸術に於ける佛菩薩、飛天などにいくらでもその例があります。」(1931年9月7日付け国民新聞に掲載されたエッセイ)と言っています。

印度更紗の上に裸の少女(次女さん)が寝転がっている軸装の[印度更紗]、明治後期日本画に転向する前に描かれた油彩の[ひまわり]、珍しいものが出陳されていました。
(2020.03.05)
 



2019年

普段は館蔵の龍子作品を色々と切り口を変えて展示していますが、今回は青龍社創立九十年特別展として、清龍社/龍子と関わりの深い作家の作品を他館から借用して展示しています。
清龍社発足メンバーで龍子の両腕として社を牽引し、清龍社最終展となった第37回まで出展を続けた安西啓明と小畠鼎子の幾つもの作品。
大田区在住の安西は、龍子記念館の運営にも尽力しました。
小畠は青龍社展に終戦の混乱期も一度も欠かさず出展し、その絶筆を最終展に出展しています。
草創期の構成員で龍子から大きな影響を受けつつも青龍社を離れ独自の芸術を展開した落合朗風、福田豊四郎、横山操の幾つかの作品。
横山は独立後も龍子を「心の師」と慕っていた由です。
青龍社の創立に当たり決別し、後に和解した横山大観、深い交流のあった川合玉堂との三輻対[雪月花]、[松竹梅}も展示されています。
[堂本美術館に川端龍子がやつてくる]開催中の関係でしょう、堂本印象の作品3点が「やってきて」います。
[運命の始めと終わり(受胎告知・刑架)]は日本画離れした画題です。
(2019.11.04)

川端龍子は晩年カッパの絵を沢山描いています。

「そのユーモラスな形態を借りて、人間界の現実相を随時に表現」するモチーフとしたのです。

カッパ・シリーズの最初で、カッパの嫁入りを描いた{沼の饗宴]、徳仁天皇のご誕生を記念して描かれた{あやかる]、メルボルン・オリンピックの競泳の活躍を表した[オリンピック]、当時の世相を描いた[ツイスト]など記念館に残るカッパ・シリーズ全19点の展示は壮観でした。

カッパのほか水辺を描いた作品11点も展示されていますが、その中では[阿修羅の流れ]のホンリュウの上を飛ぶ黒アゲハ蝶が印象的でした。

(2019.10.02)

「インスピレーションをそのまま作品にしても良い結果は生まれない。」との意見に対し、龍子は[塔影]19365月号において「手をかけ過ぎた料理よりも、新鮮な材料そのままの生なるものに、本来の味があるように、、、インスピレーションをそのまま作品化したとしても、結果が必ず失敗である−とは考えていない。」と記し、別の場所では「描きたいといふ衝動の前には、万一の杞憂を排して何でも描いてしまう。」と語っています。 

この展覧会には
無邪気な子供たちに想を得た[都会を知らぬ子等](244x722cm
鳴門の渦潮に龍を見た[渦潮](293x725cm
モンゴル草原の雲が天女に見えた[花摘雲](243x728cm
富士山の手前にある山塊を見立てた[寝釈迦](245x727cm
の巨大作品を含む20作品が展示されていました

(2019.05.02)

年明け初めてのお出掛けは龍子記念館。
龍子は「徒らに古典の幻影を追ったところで結局それは無意味である。」、「伝統は必ずしも旧習を墨守することに依ってのみ継続されるはずのものでは無い。」、「古典と現代を結ぶ一点は、個人の気持ち−性格−心構えである。」と主張、古典的テーマを現代的感覚で革新しようとしていました。
この展覧会では、唐の王維が芭蕉を雪景色の中に描いたという故事に則った[炎庭想雪図]、稲荷明神が刀匠の前に出現する能の演目による[小鍛冶]、中尊寺金色堂に眠るミイラを描いた[夢]など12点が展示されています。
龍子は毎年四国巡礼に赴くのに併せて奥の細道巡遊もし、多くの作品を残しています。
その中から10点が関連する(1対1ではありません)俳句を添えて展示さています。
[ホトトギス]の同人であった龍子の俳句も楽しいものでした。
(2019.01.05)




2015年

案内のチラシによれば「美学で云う『崇高』は、『美』と対照をなす概念で自然の巨大さや脅威を前にした際の人間の感情を表します。」由。

この展覧会では 富士山を画いた「霹靂(はばたく)」(243cmX750cm)、「怒る富士」(248cmX188cm)、「寝釈迦」(243cmX728cm)、「伊豆の覇王樹」(243cmX484cm)、奥入瀬を描いた「阿修羅の流れ」、(242cmX486cm) と云った大画面の作品に 20号程度の 富士山や龍子の守り本尊である不動明王などの作品、合計21点が展示されています。...

これらは 龍子の特徴である 圧倒的な「大きさ」や動的な「力」が遺憾無く発揮されています。
(2015.01.08)


2014年

ご存知「孫悟空」(243x728cm);
天竺を目指す途中 シンガポールで亡くなった「真如親王」(242x484cm);
モンゴルの「源義経」(243x728cm);...
唐に向かう途中入寂した役行者を描く「神変大菩薩」(230x505cm);
大観の「生々流転」のパロディー版として グァム島で発生し 伊豆半島に上陸 甚大な被害をもたらした狩野川台風の復興までを描いた「逆説・生々流転」(48x2,804cm) など

床の間を脱し 「会場藝術」を標榜した龍子らしい「物語を絵に込めた」大画面で 迫力満点の作品でした。
(2014.09.21)

炎天下のウォーキングの折り返し点として行ってきました。

「猛暑の床間に雪景のお軸を懸けて英気を養うのが風雅の士の嗜み」とか。
「炎庭想雪図」などの作品が展示されていました。.
..

空調の利いた展示室で一息ついて戻りました。
(2014.06.03)

川端龍子は、その著書で「写実」をとらえる「肉眼」に加え「写意」をとらえる「心眼」の必要性を提唱している。

この展示は、心眼でとらえた天駆ける白馬が雲と融合した「御来迎」、花を摘む天女が雲と融合した「花摘雲」を中心に構成されていました。
(2014.03.15)


2013年
龍子の代表作とも云える大作11点と龍子旧蔵の伝俵屋宗達の屏風1点(いずれも館蔵品)です。
宗達を除き 何れも一度は見ているものですが、一堂に会していると圧巻です。
(2013.10.30)

眼差しに特徴のある作品16点が展示されていました。
「臥龍」、「真如親王」の鑑賞者の目を射抜くような強い眼差し。
河童が扮した「魚籃観音」と「不動明王」が画面を超えて交わす眼差し。...
「目は口ほど」以上に物語っています。
(2013.07.20)

チラシには鋼(刃金)と鉄(黒金)にゆかりのある作品の展示とありましたが、鍛冶屋には刀剣(刃金)と鋼構造(黒金)にゆかりの作品に見えました。
能装束の小鍛冶が伏見稲荷の化身を相方に刀を打つ「小鍛冶」*、龍子が自らの守護神としていたお不動様の数々が前者で、蒸気機関車の前の茅葺の家の軒先で子どもが遊ぶ「都会を知らぬ子等」*、偵察機に乗った時の記憶によって偵察機を描いた「香炉峰」*などが後者です。
*の作品は いずれも縦240cm、横725cmの大作であるだけでなく、展示されている作品の全てが龍子の「鋼鉄のような強靭な意志うかがわせる」迫力に満ちていました。
1936年に神戸の造船所で描いた「海洋を制するもの」には、裸足で鋼板に上がりリベットを打ったり、アーク溶接している様子が描かれており、技術史の資料として興味を覚えました。
(2013.02.09)


2012年

この秋のテーマは「一葉知秋〜様々な時の表現〜」です。
「秋」には季節を表す以外に「危急存亡の秋(とき)」など一刻を争う重大な時も表します。

.この展覧会では、秋の季節の作品だけでなく、
ジャワの住民がオランダ国旗を焼く「国亡ぶ」(1942年)
「越後(山本五十六元帥」(1943年)
富士山が何を怒っているか考えさせられる「怒る富士」(1944年)
などが展示されていました。
(2012.10.07)
2.4m X 7.2mの大作4点を含む12点の涼味豊かな作品が展示されていました。
龍子の夏は河童、大小4点が河童の絵でした。
チラシに使われているオリンピックは、1956年のメルボルン大会に因む作品です。
(2012.06.07)