=サントリー美術館


2019年


桃山時代
 茶道の隆盛とともに茶陶も国内各地の窯で焼かれるようになった。

美濃もそれらの一つであったが伊万里、備前、京の陰に没していった。
従来 黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部は瀬戸の窯で焼かれたものと考えられていたが昭和5年 荒川豊蔵が美濃可児市の古窯跡から陶片を発見したことにより美濃のものと確認された。

[志野]は室町時代の茶人・志野宗信が美濃の陶工に作らせたのが始まりとされるこの地方の鉄分の少ない白土を素地に長石から精製した志野釉をかけて焼いたものである。
[織部]は奇抜な抽象意匠が古田織部正重の好みであろうと名付けられているが実際の繋がりは不明のようである。

昭和になって美濃焼は復興した。
豊川豊蔵と加藤勘九郎が美濃の美に挑戦して、名品を残した。
数奇者と呼ばれる実業界の風流人−三井高保、益田鈍翁、小林逸翁、松永耳庵、原三渓、根津嘉一郎、五島慶太、村山香雪、野村徳一、湯木貞一等々が蒐集したことによりその名前を高めた。

この展覧会では三井記念美術館所蔵の国宝志野茶碗銘卯花墻、はじめ重要文化財の銘品7点を桃山時代の銘品 約100点、豊川作品、加藤作品各10点を展示している。

(2019.09.10)



副題に[遊楽図の系譜]とある通り、琴棋書画図、邸内遊楽図、野外遊楽図が屏風、絵巻、扇面で、と百花繚乱でした。
加えて蹴鞠、碁盤、将棋盤などの遊具も展示されていました。
[三人将棋盤]なる漢時代の珍品もありました。 

興味を持ったのは 双六とカルタの系譜。
双六には  正倉院御物に[木画紫檀双六局]があることでも分かるように飛鳥時代には渡来し幕末には衰退した[盤双六]と江戸時代から出てきた[絵双六]があります。
2つの双六は賽子を振りその目によって進む点で共通していますが、全く別のものです。

前者は古代エジプトに起源を持ち、西洋ではバックギャモンとなり東洋では双六となりました。
バックギャモン盤の斜交線が平行線になっている他は同じように見えますが、遊び方も同じようと思われますが不詳です。
桃山時代の輸出用に作られた(重要文化財)[清水・住吉図蒔絵螺鈿西洋双六盤](バックギャモン盤)も出陳されています。

絵双六は[東海道五十三駅双六]、人生ゲームの[男女振分婚礼双六]などに加えて[御大名出世双六]があり、小普請組に始まり目付、奉行、老中を経て上様で上がるものですが、代官や長崎奉行など地方転勤もあり、隠居になると先へ進めません。武士社会の構造が良く分かりました。

ポルトガルのCartaを起源とする[うんすんかるた]、[天正かるた]は現在のトランプそっくりで、[百人一首かるた]、[伊勢物語かるた]、[野菜青物尽絵合かるた]を経て「犬も歩けば棒に当たる」の[江戸いろはかるた]、「一寸先は闇」の[上方いろはかるた]へ繋がる系譜が良く分かる展示でした。

(2019.07.02)



暁斎は風刺画、妖怪画の描き手として知られるが、駿河台狩野家の伝統を受け継ぐ画家であり、この展覧会はこの点に着目して企画されたとの由。

暁斎は数え7歳で国芳の画塾に入り浮世絵の手ほどきを受けた後、10歳で駿河台狩野派の前村洞和に入門、洞和の病後はその師 洞白のもとに移り、19歳で[洞郁陳之]の画号を授かり独立しています。
駿河台狩野派は奥絵師を補佐する表絵師の家系。狩野派は古典の模写を大事な修行としていますが、古典に倣った作品と原典とを並べて展示しています。
28歳で琳派の宗主 鈴木其一の次女[お清]と結婚していますから、琳派とも無縁ではなかったでしょう。
その翌年には狩野派をはなれ[惺々狂斎]と号して浮世絵狂画を始めています。
晩年には毎日必ず[日課観音]を描くなど厳しい修行をしています。おどろおどろしい絵も描いていますが、まじめ人間だったようです

[狩野派絵師として]の作品ばかりでなく暁斎の名品が揃った展覧会でした。

(2019.02.12)



2015年

会場入り口で「色絵狸炉蓋」が出迎えてくれました。狸顔の文福茶釜の和尚像で 思わずホッコリとした気分になりました。

展示は 初代高橋道八や兄弟弟子である青木木米の作品に始まり、二代仁阿弥道八の水指、茶碗、香合、急須、盃、鉢に「彫塑的作品」も加わり100余点、さらには三代目高橋道八に、九代目高橋道八(直子)の平成の作品に至っています。

恐ろしいまで写実を追求した「色絵竹隠和尚坐像」、現代の作品とも紛うシャープな造形の「色絵鶴香合」などが意外性もあって記憶に残りました。

2014年

途中 展示替えはありますが 60点の展示品中 14点が国宝、33点が重要文化財という 密度の濃い展覧会です。

運慶の「八大童子像」、快慶の「四天王立像」など著名なものも出展されていましたが、大師の枕佛であったであろう唐時代の「諸尊佛龕」、胎内佛であった「毘沙門天立像」が 印象深かったです。
後者は 外気に触れていなかったため 截金細工や着色が良く残っていました。...
独鈷鈴、独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵、五鈷鈴が 全部で8点あり これらの文様の比較も興味深いものでした。
(2014.11.04)



宇治 平等院 鳳凰堂の改修で降ろされている 阿弥陀如来坐像光背飛天(群)と雲中供養菩薩像(群)のお出ましに合わせた展覧会です。

飛天と雲中供養菩薩のこじんまりした展覧会と思いきや、インドの仏伝浮彫、敦煌の壁画、当麻曼荼羅や阿弥陀来迎図に現れる迦陵頻伽、共命鳥など80点を紹介する大掛りな展覧会でした。

高い所にあって見上げるしかない飛天や雲中供養菩薩が、目と同じ高さでじっくり見ることが出来る眼福に恵まれました。

また、同じ時代のものでありながら、鳳凰堂は雲中供養菩薩を伴った阿弥陀様の来迎を望むお堂であるのに対し、平泉 中尊寺の金色堂は 霊廟として極楽浄土を表し飛天だけで運中供養菩薩はない との知見は興味深いものでした。
(2014.01.04)


2013年

谷文晁については、「お宝鑑定団」で「贋作の多い絵師」くらいしか知りませんでした。
狩野派のあと、四条派、土佐派、さらには洋風画を学び、各画法の折衷に努めた文晁の様式は多岐にわたり、贋作の出やすい素地となっていたのかもしれません。...

松平定信の近習として、当時のData Baseともいえる「集古十種」の編纂への貢献は、「絵師」を超えるものでした。

近年サントリー美術館に納まり、修復後の初公開である「石山寺縁起絵巻」は、文晁が描き定信が石山寺に奉納した絵巻を、文晁自身が模写した兄弟作品で、今回はその双方が展示されており見比べることが出来ました。
(2013.08.07)


2012年

雪舟の16mにも及ぶ「山水長巻」は確かに圧巻でした。

安土・桃山期の起請文・注進状からは、丁々発止の緊迫した遣り取りが見て取れ大変興味深いものでした。...
毛利氏が、文書家の大江氏を祖としているからなのでしょうか。大切に保存されていることに感心しました。
(2012.05.21